光圀伝

光圀伝を読んだ。

光圀様は、我が家にも幾度となく遊びに来たと言う人物。

光圀が歌を詠んだ茶室跡も残っている。

時代劇の水戸黄門とはかなりイメージが違うのはもちろん知っていた。

かなりフィクションも入っているせいか、人物像が見事に浮かんでくる。

強い反骨精神。ゆえに勉強もし、また人を殺したりもした。

尊敬もされ、憎まれもした。

ただ、傑出した人物だった。

これだけの知の巨人が家に何回も来たと言うことは、わが先祖もさぞや知識人だったと確信した。

 

幕末の水戸藩の小説を読んでいるせいか、光圀公の行いが水戸藩後半の歴史につながる糸を感じた。

小説の最後で、自分が大切に育てた腹心の部下を殺さざるを得なくなる。

光圀が求めた理想が、読む人によってはまるで別の解釈になってしまう。

それが幕末の志士に受け継がれた美しい部分でもあり、水戸藩の悲しい幕末の歴史の素でもある。

恋歌。義烈千秋天狗党西へ。桜田門外の変

水戸藩の幕末の小説は、強く美しいけど、とにかく悲しい。

水戸藩歴史小説の登場人物は、皆すっごく魅力的だけど、どこかうまく立ち回れずに歴史を好転させられていないので、坂本龍馬のようなさわやかな読後感にならない。

そこが水戸藩水戸藩らしいところかもしれない。

 

これから水戸藩の歴史を勉強してみたくなった。